皆さんこんにちは。haretoma JOURNALの晴れとまとです。
今日は、マザー・テレサの言葉を紹介したいと思います。実は最近、SNSの発信を続けている中で、少し悩むことがありました。フォロワーがなかなか増えず、反応も少ない。「誰にも届いていないのかな」「必要とされていないのかもしれない」――そんな思いが頭をよぎって、投稿ボタンを押すのをためらう日があります。
そんなときに思い出したのが、マザー・テレサのこの言葉でした。
「愛の反対は憎しみではなく、無関心です。」
―― マザー・テレサ
この言葉が生まれた背景
マザー・テレサはインド・カルカッタ(現在のコルカタ)で、貧しい人や病気で苦しむ人々のために生涯を捧げました。彼女が活動を始めた当時、路上には飢えや病で倒れる人々が大勢いました。しかし、彼女が最も衝撃を受けたのは「貧しさ」そのものではなく、その人たちを見て見ぬふりをする人々の無関心でした。
彼女はしばしば、物質的な貧困よりも「誰にも必要とされていない、誰にも愛されていないと感じること」という心の貧しさの深刻さを語りました。つまりこの言葉は、「人を見捨てることの冷たさ」「存在を無視することの残酷さ」への警鐘なのです。
無関心が生む孤独
現代の私たちも、別の形で“無関心”にさらされています。SNSの世界では、誰もが発信できるようになった反面、誰かの言葉をしっかり受け止める時間がどんどん減っています。
一生懸命に投稿しても反応がない、いいねがつかない、誰も見てくれない気がして心が冷たくなる――。それは、マザー・テレサが感じた「見て見ぬふり」の痛みと、どこか似ているのかもしれません。
でも、無関心に傷つくということは、あなたが人を思いやる心を持っている証拠です。「誰かに届けたい」と本気で願っているからこそ、寂しさを感じる。その優しさこそが、すでに“愛の形”なのだと思います。
無関心に負けないという選択
マザー・テレサは、誰もが目を背けるような現実の中で、それでも人に手を差し伸べ続けました。「人の心が冷たくても、自分は愛をもって接する側でいたい」――その姿勢こそが、彼女の教えの本質です。
SNSも同じだと思います。反応がなくても、数字が伸びなくても、あなたの言葉はどこかで誰かを救っているかもしれない。見えないところで、心を動かされている人がいるかもしれません。
だからこそ、無関心に負けないでください。数字よりも、想いを届けることを大切に。あなたの発信は、たしかに誰かの心に届いています。


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