皆さんこんにちは。haretoma JOURNALの 晴れとまとです。
みなさんソニーと任天堂はご存じですよね。マリオやゼルダ、そしてソニー側ならバイオハザードなんか、私は大好きで、皆さんにも好きな方は多いんじゃないでしょうか。実は1990年代初頭にこの2社が業務提携する話がありました。もしも破談になっていなかったらどんな煌びやかな未来が待っていたのでしょうか。もう一つの世界線を書いてみたいと思います。
歴史:2社が描いた夢のプラットフォームと破談の経緯
当時、任天堂は次世代のスーパーファミコンに向けて、従来のカセット方式に加え大容量のCD-ROMを採用する構想を持っていました。そこで、音楽CDやAV技術で世界をリードしていたソニーに声をかけ、「スーパーファミコン用CD-ROMアダプタ(通称:Nintendo PlayStation)」の共同開発が始まったのです。
- CDによる大容量で、映画のようなゲーム表現が可能になった
- 高音質・高画質による圧倒的な没入感が実現した
- マリオやゼルダが、FFやドラクエと同じ舞台に並ぶ夢のオールスター時代が訪れた
実際にはこの提携は破談となりました。理由は主に二つ。 ひとつはライセンス収益の配分をめぐる対立。任天堂の収益モデルであったソフトのライセンス料が、ソニー主導の契約で崩れる可能性があったこと。 もうひとつは契約への不信感。ソフト流通の主導権がソニー側に及ぶ契約内容を任天堂が嫌い、公式イベントの場で突如フィリップスとの提携を発表したことで計画は終焉を迎えました。
しかし、もし破談にならず夢のハードが世に出ていたら、日本のゲーム史は全く違うものになっていたのです。
提携が続いた世界線:巨大帝国の誕生と違和感の始まり
オールスター共演が現実に
マリオとFF、ゼルダとドラクエが同じハードで遊べる時代が訪れました。国内市場は熱狂し、一時的にはゲーム黄金期がさらに加速しました。Nintendo PlayStationの名声は世界に広まり、任天堂ブランドはかつてない規模に膨れ上がりました。
しかし、ユーザーの心に芽生えた違和感
世界観の異なるキャラクター同士の共演は、最初こそ話題性に満ちていましたが、やがて作品の個性が薄まる副作用を生みました。「マリオはマリオの世界で」「FFはFFの世界で」というファン心理が崩れ、違和感を覚えるプレイヤーが増えていきました。その結果、コアなユーザーほど離れていき、夢の共演はやがてブランドを弱める要因になっていきました。
国内市場の独占と閉鎖性
任天堂が主導権を握り、ソニーは技術供与にとどまる構図では、日本市場は一強体制となりました。セガやNECといった競合は撤退し、ハードの多様な競争は失われました。業界はキャラクターIPのコラボレーションに依存するようになり、ゲームデザインの挑戦や革新は後退していきました。
世界標準からのズレとガラパゴス化
海外ではPCやオープンプラットフォームが発展し、開発環境は開かれ、流通はデジタル化していきました。一方、日本はNintendo PlayStationという独自規格に固執し、海外サードパーティの参入は難しい環境となりました。これは日本の携帯電話が「おサイフケータイ」「ワンセグ」などで独自進化を遂げながら、グローバル標準から離れていった構図の再現でもありました。
国内市場向けには便利で快適でしたが、世界から見れば特殊で閉じた市場。結果として日本発のゲームは国際市場から遠ざかり、制作手法も内向きになっていきました。
停滞の帰結
オールスター共演が当たり前になったプラットフォームでは、新しい挑戦よりも安全なコラボレーションが優先され、多様性が失われていきました。中長期的な技術革新や表現の拡張は後回しとなり、海外の潮流から外れた日本のゲーム業界は、やがて停滞へと向かいました。
結論:破談が生んだ健全な競争
提携が続いていた世界は、煌びやかな夢のオールスターで始まりながら、最終的には違和感とガラパゴス化が進んで停滞していきました。
現実には、破談という選択が競争を生み、ソニーはPlayStationで世界市場を牽引し、任天堂はN64、Wii、Switchと独創的な体験を提示し続けました。異なる哲学がぶつかり合う構図が、業界全体の多様性とイノベーションを押し広げたのです。
破談は失敗ではなく、両社が独自路線で成功し、ゲーム産業がグローバルに進化するための必然の分岐点だったのです。
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